【理事長】福祉職員を『先生』と呼ばないわけ
前回は、『先生』と呼ばれる職業についてお話ししましたが、続きとなる今回は、私達、福祉事業所や施設の職員は『先生』と呼ばれる存在なのかどうか?このことについて考えてみたいと思います。
話を少し振り返ると、『先生』と呼ばれる職業のひとつに、幼稚園や保育園の職員がありました。また、士業と呼ばれる○〇士もそうでしたが、福祉職の中にも、皆さん聞き覚えのある、社会福祉士や精神保健福祉士、介護福祉士といった資格を持って仕事をしている職員がいます。かくいう私も精神保健福祉士の端くれであります。士業の方を『先生』と呼ぶ理由のひとつに、その仕事をするには、「難しい国家資格を取得する必要がある」ことがありましたが、確かに社会福祉士も精神保健福祉士も立派な国家資格ですが、これらの国家資格を持たなくとも、福祉の仕事に就くことはできます。ここが、国家資格無ければその職業に就くことができない医師や弁護士、あるいは税理士と言った士業と根本的に異なる点です。
次に、なぜ『先生』と呼ばれるのか?の理由には、「人は、何かをしてもらう相手に対して、『先生』と言ってへりくだるのだ」といったことがありました。
確かに少し前には、福祉施設の職員も、利用者の方やご家族から「○〇先生」と呼ばれることがごく普通の時代がありました。でも、今はほとんど無くなりましたね。利用歴の長い方が、昔の習慣で職員を『先生』と呼ぶことはあっても、少なくともひだまり会では、職員を先生と呼ぶことはありません。それはなぜか?かつては福祉施設を利用することが、行政が主導で決める「措置制度」が主流であり、そこには明らかに、支援をする側とされる側という明確な関係性がありました。その結果、利用する側の意向が尊重され難いという問題が生じ、現在は児童施設の入所を除いて用いられなくなって来ているという時代背景が大きく影響していると思います。
さて、整理してみましょう。まず私たち職員の仕事ですが、社会福祉士や精神保健福祉士といった専門性の高い国家資格はあるものの、資格がなければ就けない仕事ではないこと。つまり、希望すれば誰もが就ける職業であるということ。そして、現在は利用者の方は「措置制度」ではなく、「契約制度」の上で福祉施設を利用しており、これは職員と利用者の関係は互いに対等であることを意味しています。職員は利用者の方々に何かをしてあげるといった上から下への関係ではなく、また利用者の方々も何かをしてもらうという受け身的な一方通行の関係ではないということです。誤解が生じるといけませんので、少し詳しく述べますと、職員は利用者の方を‘支援‘はします。当たり前ですが、何もしないわけではありません。支援とは、広辞苑によると「支え助けること」という意味だそうですが、何かを代わりにしてあげることではなく、「力を添えること」だそうです。そのうえで、契約の関係とは並列で対等の関係を意味します。これが、ひだまり会の理念にある「利用者の人格や尊厳を尊重」「利用者の主体性、個性を尊重」の基盤です。ですから、利用者の方々は「何かをしてもらおうと思って、相手に対してへりくだる」必要はありません。
以上、福祉職員を先生とは呼ばない理由について考えてみました。
しかし、言葉にはその言葉が持つイメージというものがあって、どうしても‘支援’や‘支援者’という言葉を耳にすると、何かをしてあげなければ!教えてあげなければ!自分はしてあげる立場なんだ!と肩に力が入ってしまいがちです。でも、そういった上下関係は、やがてお互いの人間関係を疲弊させてしまいます。
確かに専門的な知識やノウハウの蓄積は、‘支援‘を行う中で大きなメリットになり得ますが、支援者と利用者の関係はどこまでいっても対等なままです。むしろ、知識や経験豊富なプロフェッショナルであればあるほど、一流のマラソン伴走者の様に、傍らにそっと寄り添い利用者の方が倒れそうなったら支える存在。温かい気持ちを持って、利用者の方と同じ目線で一緒に考えてあげる存在。それが福祉職員の一番大切な意識だと私は思います。